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通路
レビュー
執筆: 瀧口 美香   
公開日: 2009年 2月 10日

fig. 1 ダニ・カラヴァン《梯子》、「ダニ・カラヴァン展」(2008年9月2日~10月21日)世田谷美術館  撮影:平野太呂 © Dani Karavan / Courtesy of Setagaya Art Museum

fig. 2 ダニ・カラヴァン《光の道、世宗へのオマージュ》 1987-88年 オリンピック彫刻公園 ソウル・韓国画像提供:株式会社空間造形コンサルタント © Dani Karavan / Courtesy of Spatial Design Consultants Co., Ltd.

fig. 3 ウィルキンソン・エア・アーキテクツ《ブリッジ・オブ・アスピレーション》2001-03年、ロイヤル・バレエ・スクール、ロンドン、撮影:Nick Wood、画像提供:ウィルキンソン・エア・アーキテクツ © Wilkinson Eyre Architects

fig. 4 ウィルキンソン・エア・アーキテクツ《ブリッジ・オブ・アスピレーション》2001-03年、ロイヤル・バレエ・スクール、ロンドン、撮影:Nick Wood、画像提供:ウィルキンソン・エア・アーキテクツ © Courtesy of Wilkinson Eyre Architects

fig. 5 川俣正[通路] 2008年、画像提供:東京都現代美術館、撮影:芥川真也 © Tadashi KAWAMATA / Courtesy of MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO

   世田谷美術館には、ガラス張りの長い通路がある。チケット売り場のある天井の高いホールと、展示室との間を結ぶ通路で、普段はこの通路を通り抜けて展示室に入ったところから展覧会が始まる。ところがダニ・カラヴァンの作品展示は、通路からすでに始まっていた[fig. 1]。

   通路の中央に、白木の梯子がいくつか立て掛けられ、天井に達している。梯子の足元には、人の頭くらいの石が置かれている。これは、旧約聖書に出てくるヤコブの梯子であり、ヤコブが枕にした石を表すという。旧約聖書の引用が窓に記されている。ヤコブは旅の途中、ある場所で一夜をすごした時に、夢を見た。天まで達する梯子を、神の御使いたちが上がったり下がったりするという夢である。夢からさめたヤコブは、この地が「天の門、神の家」であることに気づき、ここにベテル(神の家)という地名をつけた。
  ダニ・カラヴァンは、なぜここに梯子を置いたのか。彼は、ガラス張りの通路を(単なる展覧会場に至る通路ではなく)神の家へと続く通路に見立てているのだと思う。この通路が神の家へと続く通路(すなわち天の門)であるとすれば、展覧会場は、すなわち神の家そのものである。
    信仰を持たないわたしたちにとってみれば、神の国などなきに等しい。ところが、ダニ・カラヴァンは、ヤコブの梯子を置くことによって、展覧会場への通路を神の国への入口、天の門に作りかえ、展覧会場を神の国に見立てた。美術館にやってきたはずのわたしたちは、こうしてはからずも神の国へと招き入れられる。
    梯子の一段一段は上にいくほど間隔が狭まり、上にいくほど駆け足になって登りつめる、天使たちの足音が聞こえてくるかのようだ。
    米袋が、梯子のてっぺんに吊るされている。天使は、梯子を上り下りするだけではなくて、この米袋をかついでいたということらしい。彼らは、梯子を上り下りして、天に宝を積んでいたのだ。

    誰がやってもいいはずなのに、誰もやらないから仕方なく自分がやっている仕事があって、それが自分にとって一文の得にもならないことを不満に思って、不平を言っていたことがある。わたしの不平を聞いて、母は言った、「あなたは今、天に宝を積んでいるのだ」と。天から与えられた才能なのだから、それを(自分のために使うのではなくて)天にお返ししているだけのことである、と。
    吊るされた米袋を見上げて思った。天使とは、梯子を上り下りして天と地とをつなぐ存在であると同時に、天に宝を積みながら、もくもくと働く者たちのことであったのだ。


高さ6メートルはあろうかという太い丸太が、まっぷたつに割られている。割れた面を向かい合わせにして、12組の丸太が垂直に立てられている。丸太の断面は白く塗られている[fig. 2]。
    神がここを通り抜けていったのだ、と思った。神は光のような早さで、一列に並んでいる丸太を、端から次々に割って、駆け抜けていった。その痕跡がここに残されている。残された丸太は、太陽の角度によってさまざまな方向に長く(あるいは短く)影を伸ばす。神が通り抜けて行った時の、あまりにも強烈な光の残像が、今も目の裏に残っているかのようだ。


隣り合わせに建てられた二つの建物[fig. 3, 4]を、地上4階でつなぐ全長9メートルの通路である。通路はアコーディオン状で、正方形のフレームが23個用いられ、フレーム同士はガラスでつなげられている。各々の正方形は、4度ずつずらされながら縦方向につなげられていく。最初の(入口の)正方形で右上の角にあった点は、次の正方形を見るとやや中央よりに移動し、左上の角にあった点はやや左下に移動している。三番目の正方形では、傾きがさらに4度強まる。通路終点の正方形を見ると、入口において正方形の右上にあったはずの角が、左上に来ている。つまり、正方形を反時計回りに少しずつ回転させながら、それを複数つぎ合わせることで、長い通路を形づくっている。
    この通路を歩く人は、入口を入るとき頭が上だが、出口ではその頭の向きがもはや上向きではない。もちろん、通路の始まりから終わりまで、ずっと頭を上にして普通に歩いているのだが、空間の方がくるりと90度回転しているために、入口の地点で上にあったはずの頭は、出口では横向きに倒されることになる。これは、通り抜けていくだけで、自分という存在が足元からくつがえされる通路なのだ。今わたしがその通路を通り抜けるとしたら、出口に立つわたしは、いったいどんなものになっているのだろうか。


木の板でしきられた狭い通路は、展覧会場を縦横に走っており、ところどころに「ラボ」と呼ばれる空間があって、各々の「ラボ」では複数のプロジェクトが同時に進行している[fig. 5]。(写真が展示されていたり、実際に人が働いていたりする。)
    カタログの解説にもあるとおり、これは川俣の脳の中身を写しとったものである。川俣は、学生時代に大仏の内側に入って中から凹凸を眺めた経験について語っているが、わたしたち見る者は今、川俣の脳の中に入り込んでそれを内側から眺めている。そこではいくつものプロジェクトが進行中で、通路を行くわたしたちはあたかも彼の頭の中を行き交う火花のようなインパルス、あるいは脳の中をめぐるドーパミンのようなものである。
    通路を歩き回る人たちの反応はさまざまであろう。何これ、と思う人。無駄、と思う人。競争心をかきたてられる人。考え込む人。賛同する人。こうした観客一人一人の中で起きている反応が、川俣という一人の人の脳の中で行き交い、すれ違い、ぶつかり、溶け合っていく。
    この脳は生きている。生きてうごめく脳の中を、通路を行き来する人々がインパルスとなって飛び交う。ここではいまだに何一つ完成しておらず、まさに何かが生成されようとしている現場である。それに比べたら、美術館に陳列された完成後の作品など、動かぬ死骸のようなものだ。

[fig. 1, 2] 図版出典

・平野太呂撮影『ダニ・カラヴァン展展示記録集』世田谷美術館、2008年
・高嶋雄一郎他編『ダニ・カラヴァン レトロスペクティヴ』世田谷美術館、2008年


参照展覧会

・ダニ・カラヴァン展 世田谷美術館 2008年9月2日-10月21日
・スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション展 国立新美術館 2007年6月6日—8月13日
・川俣正[通路]展 東京都現代美術館 2008年2月9日-4月13日

最終更新 2010年 7月 06日
 

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