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三瀬夏之介:J
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 1月 04日

fig. 1 三瀬夏之介展「J」展示風景|撮影協力:イムラアートギャラリー|Copyright © Natsunosuke MISE / Courtesy of IMURA ART GALLERY

fig. 2 三瀬夏之介《J》2008年|和紙に墨・胡粉・染料・アルミ箔・金属粉・インクジェットプリントによるコラージュ・印刷物・アクリル|182×242cm|Copyright © Natsunosuke MISE|Courtesy of IMURA ART GALLERY

fig. 3 三瀬夏之介《J》2008年|和紙に墨・胡粉・染料・アルミ箔・インクジェットプリントによるコラージュ・印刷物、二曲一双屏風|Copyright © Natsunosuke MISE|Courtesy of IMURA ART GALLERY

fig.4 三瀬夏之介《J》2008年|和紙にインクジェットプリントによるコラージュ・染料・金属粉・アクリル|Copyright © Natsunosuke MISE|Courtesy of IMURA ART GALLERY

そのモチーフが三瀬の作品に登場したのはgallery neutronでの個展で発表された《奇景》(2006年)を嚆矢(こうし)とする。当時からそのディテールは詳らかではないものの、頭に冠をかぶり、体に鎧をまとい、左腰に剣を挿していることはシルエットから明らかである。中空に掲げた左手が何を持っているのかは明確ではないが、棒状のその先に繋がっているのは鳥であろう。その鳥はまるで今にも飛び立とうとその羽をばたつかせているように見える。さて鑑賞者はその異形の存在を、周辺に描かれている事物と大小を比較することによって巨人と推測し、1966年に大映が制作した映画「大魔神」に登場する同名のそれとも考えてきた。けれども実際の大魔神と見比べれば、鎧や剣こそ形が類似するものの、冠や鳥といった細部が異なっていることがわかる。ではそれはまったく三瀬の想像によるものなのだろうか?

イムラアートギャラリーでの個展「J」で発表された《J》と名づけられた一連の作品は、※1 三瀬がその存在にフィーチャーした初めての作品である。あえて単刀直入に言うが、個展名であり作品名でもある「J」は日本の初代天皇と考えられている神武天皇の頭文字、「J」を含意しているという。《J》[fig. 2] 向かって右上に矢を背負った後ろ姿の人物が認められるが、それはインクジェットプリントした神武天皇像をコラージュしたものなのである。伝説化され数多く肖像化されている神武天皇だが、三瀬がピックアップした像はその造形から奈良県と和歌山県をまたぐ大台ケ原山に立っているそれと考えられる。理由は肩上方にいる鳥である。『日本書紀』には神武天皇が即位前、神日本磐余彦尊と呼ばれていたころ、東征の際に八咫烏に道案内をされたという記述がある。その舞台が大台ケ原山なのである。

「史実と伝説のはざまに生きる存在、それが“J”だ」。※2 個展に合わせたステイトメントに三瀬がそう書いたように、神武天皇とはその存在から事績まできわめて不確かな存在にほかならない。そしてそういった性質は、三瀬がこれまで描いてきたモチーフとも重なり合う。一階に展示されていた《J》二点にも描かれているネッシーやUFOが「史実と伝説のはざまに生きる存在」とまでは言わないが、現実と伝説のはざまに生きる存在であることは理解してもらえるだろう。懐疑的な意見があるにせよ、これまでになされた多くの報道や言説からネッシーと聞くとネス湖を住処とする首長竜を想像してしまうのはわたしだけではないに違いない。たとえ実在せずともそういった想像を引き起こすという点でわたしたちはネッシーを〈知っている〉のであり、それはUFOについても同様なのである。

三瀬の《J》が面白いのは、神武天皇という図像として典拠があるものであるにもかかわらずそれをそのまま引き写していないということ、そしてそれがその他のモチーフと同じく、一つの画面に複数存在しているということである。それは三瀬にとって神武天皇がネッシーやUFOと等価のものであるということ、つまり、不確かな存在であるということを意味しているのかもしれない。だからシルエットとその引用元となっている彫像との整合性は一部で構わないのではないか。そしてその不確かさは、《J》というタイトルにも通底している。というのも、そのタイトルを冠した作品は神武天皇をモチーフにしたものに限らないのである。ギャラリー一階の二点こそそれをモチーフにしたものだったが、二階に展示されていたオーバル状のカンヴァスからなる小品二点のモチーフは、UFOだった。三瀬は「彼のことをしっかりと調べ、認識し、描き、直視しない限り、彼は荒ぶり、猛り、この国を滅ぼすことになるような予感がぼくにはある」※3 と書きながらも、「J」が意味するところを明言せず、かつこのようにそのありかをさらりとかわすのである。だから「J」は神武天皇だけを意味しない。

さてここで、《J》[fig. 3] 右隻右上を見て欲しい。「J」という文字が細長い袋状の物体の上に描かれていることがわかるが、これは俵屋宗達以降尾形光琳、酒井抱一と模倣の続いた《風神雷神図屏風》右隻の風神が携えている、風を出す袋の引用である。金箔をふんだんに使用した《風神雷神図屏風》に対応するようにささやかながら銀箔が用いられているという点でも、他にそれとわかるものはないものの、三瀬が同作を参照したことは間違いないだろう。三瀬の作品にはこのように、わたしたちの意識の片隅にそれとなくあるようなものが、時に堂々と、時にさりげなくちりばめられている。それは「J」のように言われてみれば〈日本〉という意識を強く呼び覚ます存在であることもあれば、《風神雷神図屏風》の風袋という想起する人間がきわめて稀なものであることもある。

そしてこうした思考を導きながら、三瀬の作品は何より画面の細部を注視させる性質を持つ。だからわたしが今回書いた神武天皇や《風神雷神図屏風》のくだりから、それが三瀬の作品の見方でありすべてであるかのように受け止めてはいけない。それはただの情報に過ぎず、そう見なければならないというものではない。展開からすると矛盾するように思われるかもしれないが、小説家の保坂和志に「小説は“読んでいる時間の中”にしか存在しない」※4 という言葉があるように、三瀬の作品ないしは絵画一般も、結局は“見ている時間の中”にしか存在しないとわたしは考えるからである。そこではどんな理屈や制作背景も彼方に追いやられ、画面を這う眼球の運動と作品を前にした前後左右のわずかな歩行だけがほとんどすべてと化す。まず緑青を背景にまとった巨人二体のシルエットに目が行き、その付近を浮遊するUFOと旋回する飛行機に気づく。視線をわずかに下げれば、相対するかのようになぜか『論語』の文句を目(?)から巨人に向けて発射させている少年とネッシーの群れがいる。絵の表面に描かれている見えているものと、その背景にある見えていないもの。飛び散る墨と顔料越しに見えるいささか荒唐無稽な光景は、その関係性を大きく引き裂いてただただ「絵」として屹立している。

脚注
※1
今回の個展では一階に二点、二階に二点、計四点の《J》と名づけられた作品が展示されていた。一階は和紙を継ぎ接ぎした作品と二曲一双の屏風に仕立てられた作品であり、二階はどちらも額装された小品である。
※2
http://www.imuraart.com/exhibition/2008/8.html
※3
同※2
※4
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』草思社(2003年)、p139

参照展覧会

展覧会名: 三瀬夏之介:J
会期: 2008年12月13日~2008年12月27日
会場: イムラアートギャラリー

最終更新 2015年 10月 30日
 

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