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高嶺格:The SUPERCAPACITOR/スーパーキャパシタ
レビュー
執筆: 五色 由宇   
公開日: 2008年 9月 22日

Photo by Keizo Kioku, © 2008 ARATANIURANO

Photo by Keizo Kioku, © 2008 ARATANIURANO

   天然資源の枯渇問題に直面している今日、エネルギーの未来を担うとまで謳われるスーパーキャパシタ(電気二重層コンデンサ)。一方で、価格の高さから、一般市民に普及しないのが現実である。そのスーパーキャパシタをテーマに、高嶺格が作品を制作。既存アートの常識を打ち破り、斬新なメディアやテーマにチャレンジし続ける高嶺らしい選択である。

    「本展では、この謎めいた蓄電システム「スーパーキャパシタ」のブランド化を試みます」(by ARATANIURANO)と紹介されているように、今回の展覧会では、スーパーキャパシタをマーケットに乗せるための商業イメージを作るという高嶺の試みが複数の作品にて行われている。

    まず、展示会場手前には、愛らしいクマ(?)の顔2種をレンチキュラー板と携帯電話の待ち受け画面に展開。会場両壁いっぱいに設置された多角結晶体のような巨大なオブジェでは、五角形パネルの個々の面に文字が一つづつ、全体で『SUPERCAPACITOR』と網羅した数の面で構成され、その連結ラインで人体あるいは昆虫のような形状を成している。

    奥には、さらに別のキャラクターイメージを使った大きなラグが展示されている。こちらは、電線と電信柱を渡る‘電気玉’が列になり、“スーパーキャパシタ”の文字を発する電気で模るかのような構成になっている。親しみやすく、商品に展開しやすいイメージであり、実際に、このキャラクターをプリントしたTシャツも会場で販売されていた。

     「スーパーキャパシタ」という、視覚としてそのまま捉えられないテクノロジーを、なんらかの手がかりを手繰ってビジュアルイメージに落とし込み、ブランド化させる-こうした工程は、マーケティングや商業デザインの領域で日常に行われていることであるが、それを「アーティストが行ったら」ということへの興味深さがこの試みにはある。

    ここでの作品は、例えばキャンペーン会場などで、老若男女を問わない「スーパーキャパシタ」をまだ認知していないであろう人々の目を引き、親しみやすいイメージによって認知向上を図る目的のためのイメージとしてであれば、十分に利用価値が発揮される可能性がある。その一方で、商品マーケティングの厳格な手法から鑑みると、テクノロジーへの関連イメージが多少、説明調過ぎる部分も否めない。また、このテクノロジーを商品として購買するであろうターゲット層に焦点が絞られたものあるかという点にも疑問はある。

    しかしながらこれは、高嶺が「商業デザイナー」ではなく純粋アートの「作家」であることに所以しているのであろう。商業イメージとは、たとえ難解高度な先端テクノロジーであっても、ある特定のイメージとともに消費者に抵抗なく受け入れられ、購買欲と直結して刷り込まれていくという、非常に戦略的なものである。一方、純粋なアート作品とは、作家の意図と観客の感性がどう共鳴するかのコミュニケーションが作品と対峙した時間に存在する。作家と観客の力関係が根本的に違うのであろう。

    高嶺の作品には、本人の意図しているや否や、その両面が共存しているようにうかがえる。まるで、戦略的なイメージにはまりこんだ自分と、そうでない自分の間を漂流するような、居心地の定まらない思いを抱かされ、改めて商業アートとの相違を再考させられる時間を得た。

最終更新 2010年 8月 20日
 

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