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中川トラヲ:しじまからことといへ
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 2月 26日

画像提供:児玉画廊 copy right(c) Torawo NAKAGAWA

キャンバスにふと付いた絵具の飛沫、窓から差す光が画面に作る陰影、きっかけは何かほんの些細な事で、そこからほとばしるように色彩と線描が交錯し、形を成しては崩れ、幾重にも様相を変化させながらいつしか風景のようなものが描き上がっている、、、常に具象と抽象を横溢する中川独特の間合いで制作を続けてきました。中川は作品を描くにあたり予め具体的な完成像を持たないため、自らが描いた画面から次なる着想を得て、その繰り返しによって段階的に筆を重ねていきます。例えば何でもない一筋の線をきっかけに山の稜線が現れてきたり、気まぐれに置いたミスマッチな色彩がやがて鮮やかな色をした雲や煙のように画面に広がっていきます。こうした画面が現れてくるプロセスは自然発生的で作家が自らの意向とあえて距離を置いてできるものである反面、究極的に崩されつつもどこかで目にしたような形状を敷衍していること、突き詰めれば何らかの既視感を作家自身が求めているということは、中川がどっち付かずの中途半端という事ではなく、キャンバスと自己とを行きつ戻りつした痕跡そのものが絵画となっていく、中川トラヲの独自性、その実証であると言えるでしょう。 今回展覧会タイトルを「しじまからことといへ」としていますが、しじま(=静寂)に対して、こととい(=言問い)とは言葉の黙された状況から、自発的に問いかけをする、沈黙を破る、といった意味合いになるでしょう。今回のテーマの典拠ともなっている折口信夫による同名のエッセーにおいて、神と人との関わりについて述べるに用いられた意味合いにおいても、言葉なき現象として神意を表す「しじま」に対して、神事などにおいて人との対話的関わりを交わす「こととひ」との対比は、簡略的にコミュニケーションのあり方として、あるいは物との関わりにおいて、受動的に状態を受け入れる姿勢と能動的に対峙し関わりを持つ姿勢として解釈した場合、中川と作品の関係性に置き換えれば多分に意義が重ねられるのでしょう。 2008年の個展「おとなう」(児玉画廊|東京)以来の個展となります今回新作平面に加え、立体作品を並列する試みをしますが、それも、自身の作品に対して視点を変えて、新たな関わりを持ってみようとする作家の意図が込められています。敢えてニュートラルな白で、ささやかながら不意にそこに存在しているような造形物がペインティングと同空間内にある事で、見る者にとって作品のありようが如何に変化するのか、またそうする事によって自身の絵画の本質を自分に向かって、或は作品そのものに向かって問うているのでしょう。 ※全文提供: 児玉画廊

最終更新 2010年 2月 27日
 

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