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森村泰昌:なにものかへのレクイエム:外伝
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 1月 27日

躍動するイメージ:石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流


《なにものかへのレクイエム(記憶のパレード/1945 年アメリカ)》2010 年|画像提供:東京都写真美術館

20世紀は男たちが建設し、争い、破壊してきた歴史であるにもかかわらず、21世紀の現代では急速に「男性的なるもの」の価値が忘れ去られようとしています。森村泰昌はかつて<女優>シリーズで、映画という「フィクション」のなかで輝きを放つ20世紀の女たちの世界を表現しました。<なにものかへのレクイエム>シリーズでは、森村は「男性的なるもの」の輝きを求めて、政治や戦争、革命という「現実」の世界、20世紀を記録したシリアスな報道写真の世界に取組んでいます。<美術史の娘><女優>シリーズと過去に発表した作品のなかで、女性に「変身」するイメージが強かった森村泰昌。「男たち」になることは、自らの身体を媒介にして性を自由に超越し、「私」の可能性を追求するセルフポートレイトの新たな挑戦でもあります。

『現在私たちは21世紀を生きています。しかしこの21世紀は、かつて人々が想像していたような夢の世紀ではないようです。にもかかわらず、人類はこの21世紀をまっしぐらに突っ走っているかに思えます。前の世紀である20世紀をブルドーザーで更地にして、20世紀的記憶を忘れ、その上にどんどん21世紀が出来上がってきつつあるように思います。私はここでいったん歩みを止めて、「これでいいのかしら」と20 世紀を振り返りたいと思いました。過去を否定し未来を作るのではなく、現在は過去をどう受け継ぎ、それを未来にどう受け渡すかという「つながり」として歴史をとらえたい。そしてこの関心事を私は「レクイエム=鎮魂」と呼んでみたいと思いました。』(森村泰昌)

鎮魂歌(レクイエム)。それは、森村泰昌というひとりの美術家が自らの身体という器に歴史の記憶を移し替えるセルフポートレイトの表現によって、過ぎ去った人物や時代、思想への敬意をこめて、失われていく男たちの姿を21 世紀に伝えようとする行為なのです。20世紀とはどういう時代だったのか?歴史の記憶に挑む森村泰昌の新たなセルフポートレイト表現の集大成をお楽しみください。 森村 泰昌(もりむら やすまさ)
1951 年大阪生まれ。1985 年よりセルフポートレイトの作品制作を開始。1988 年「ベネチア・ビエンナーレ・アペルト’88」、1989 年「AGAINST NATURE: Japanese Art in the Eighties」(サンフランシスコ近代美術館、他巡回展)に出品。以降国内海外の多数の展覧会に参加。代表作に古今東西の名画を題材にした〈美術史の娘〉シリーズ、映画の登場人物を題材にした〈女優〉シリーズ、フリーダ・カーロを題材にした「私の中のフリーダ」やスペインの巨匠ゴヤの版画集「ロス・カプリチョス」を題材に現代諷刺を展開した「ロス・ヌエボス・カプリチョス」など。その他、演劇『パンドラの箱』(作・野田秀樹、演出・蜷川幸雄、1999年)や映画『フィラメント』(監督・辻仁成、2002 年)に俳優として出演、エッセイの執筆や和菓子のプロデュースなども手がける。 ※全文提供: 東京都写真美術館

最終更新 2010年 3月 11日
 

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