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田中秀和:連続の要因
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2009年 10月 16日

画像提供:児玉画廊

田中は平面における抽象表現を追求すべく、これまでひたむきに制作を続けてきました。田中にとっての平面作品とはタブローでありドローイングでありウォールペインティングでありますが、それらは田中の創造性を具現化させるアウトプットであるという共通項とは別に、少しずつ異なる特性を示します。ドローイングはモチーフが何であるに関わらず、目紛しいイメージの転換に合わせたスピード、即興性に突出するが為に、如何に抽象化のプロセスを辿ったのであるかその痕跡を残すもので、同じく即興性という観点で見れば共通点を挙げられるウォールペインティングと比較すれば、後者はよりパフォーマンス的な側面に傾き、身体性、あるいは空間性と密接に関わって来ます。その規模において、手元の空間に収まるドローイングとは異なり、時には視野を遥かに超える面積を的確に把握しつつ構成していかねばならず、ある種のプランニングに基づくという点において、忘我的な即興性にばかり頼る訳にはいきません。 タブローの仕事においてはそのいずれの特性もが吸収されています。特に近年の大振りで大胆なストロークをそのまま作品にしていく手法には即興性が如実に現れていると同時に、ストロークそのものを運動の痕跡として見た場合には、「塗る」という絵画の基本動作とは全く別の性質のもの、速度と力の瞬間的なコントロールによって色彩の濃淡や構成の強弱のすべてが生み出されていることに気付きます。敢えて比較してみますが、アクション・ペインティングが広義に無意識の絵画あるいは、(結果に対する意味合いでの)過程を表象する絵画であるのに対して、田中は、作為的な線描を意識的に避けるという意味での無意識、あるいは特異な運動に起因する偶然的な描線をして抽象化のプロセスと言うのではなく、むしろ意識的な動作のコントロールによって感情的な線描や色彩のバランスを構築しています。また、コンピュータのグラフィックソフトのレイヤーの概念、音楽で言えばサンプラーやリズムループのテクニックなど、通常なら絵画の理論に組み込まれない別の概念でさえも貪欲に、抽象化のツールとして敢えて援用しています。 今回発表されるタブローの作品においては特に画面を構成する際に自身の過去作品に描かれた線や形を抜き出して、あるいはそれらから連想し別の要素に置き換えて現在の作品に組み込んでいくという試みがなされており、作品の個別や時間の隔たりを超越した連続性が田中の中に存在していることが読み取れます。前述のサンプリングやループといった概念を、記録したり保存された既出の情報を分解し選び取り、元とは異なるものへ組み立て直していく為の手法と解釈するなら、田中の行うモチーフの過去からの引用というイマジネーションの連続性はそれに準うものと理解できます。それはもちろんアプロプリエーションのようにシニカルなものではなく、作品の抽象化に必要なプロセスとして、偶発的でないしかもその出自が明らかなモチーフを没個性的に用いること、そして「同一平面上に多元的時間感覚を混在させる」と作家が述べているように、時間的、意味的な連続性を一作品の中以外にまで求める事で観念的な抽象化をも同時に計る試みであると捉えることができるでしょう。 今回の個展では京都の2フロアを全て使用し、1階ではタブローの作品、2階では4方の壁全てを使用した全長約40mのウォールペインティングを発表します。 ※全文提供: 児玉画廊

最終更新 2009年 10月 17日
 

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