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天野亨彦:918
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 8月 25日

画像提供:magical, ARTROOM (C)copyright Akihiko AMANO

アートにとって「言語」とは何か?
歴史的に、アートが「言語」をどのように取扱ってきたかを知ることは、非常に興味深い。20世紀のアートで、最初に意識して言語を作品に組み込んだのは、キュビスムのピカソやブラック、そしてクレーだろう。キュビストは、現実のなかの言葉を画面にメトミニックに配し、クレーは、幻想をメタフォリックに仄めかす記号を描いたのである。こうした表現方法が、言語を視覚的に操作するアーティストの能力を検証し強化するきっかけとなったことは言うまでもない。以後、モダンアートは「言語」を主題やモティーフとして数多くの作品を生み出したが、多種多様なそれらに共通する特徴とは、言語の破壊や生成を通して主体性を確立することだった。言語のシニフィアンのレベルで、諸々のテクニック(分解と総合)が要請されたのである。一方、シニフィエのレベルでは、20 世紀後半の60 年代に台頭したコンセプチュアル・アートによって、表現の意味(概念)の重要性が主張された。

このように言語はアートのなかで様々な役回りを演じてきたが、視覚的要素に対する言語の優位は変わらなかった。言語や意味を拒否するかに見えたモノクローム絵画でさえ、言語(意味)を完全に排除することはできなかったのである。21 世紀の現在、意味と格闘するアートはどのような戦略を立てて対処しているのだろうか?天野亨彦は、「対象のない概念」を武器に意味の圧制から逃れようとする。彼の表現は、文章のようなフォルムを駆使して意味を喚起するが、その語彙も文法も知らないわれわれにとっては、理解することができない。にもかかわらず、作品はその意味を探求する欲望を掻き立てる。画面には言葉が並べられて、コンセプチュアル・アートの形式を呈しているのだが、それが意味を発信することはない。概念なきコンセプチュアル・アート。これが、鑑賞者に天野が仕掛けた罠である。
市原研太郎

天野亨彦
1979 東京生まれ
2005 東京造形大学造形学部絵画科卒業
2007 東京藝術大学大学院修士課程油画科修了 主な個展
2008「DICE PROJECT002」magical, ARTROOM、東京 受賞
2007「新・公募展」審査員賞

全文提供: magical, ARTROOM

最終更新 2009年 9月 18日
 

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