イグノアユアパースペクティブ10:IS NEXT PHASE COMING? |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2010年 11月 18日 |
イグノア・ユア・パースペクティブは、その字義通りに固定観念を振り払い、児玉画廊ならではの切り口で作家あるいは作品に対する新たな視点を提示するべく単なるグループショー枠とは区別し注力してきました。そしてシリーズ10回目を数える今回、「IS NEXT PHASE COMING?」と題して、関口正浩、貴志真生也、和田真由子の三名を取り上げ、彼らや同世代の作家がまさに形成しつつあり、また児玉画廊が現在最もその関心を向けている、これまでにない新たなムーブメントを捉え、リリースしようとするものです。 関口はキャンバスに油彩、と字面はいかにも絵画然としていますが、しかし、厳密な意味での「ペインティング」ではなく、油彩の膜をキャンバスに貼付けて色面を構成します。貴志の作品は、角材、蛍光灯、コンクリートブロックなど、シンプルでありきたりな素材を使いながらも、意味を見出そうとする観客を煙に巻くようないかにも形容しがたい造形を作り出します。和田は素材と視覚的効果によって平面性の中で立体性を、或はその逆という本来的には矛盾することを独自のロジックで可能にしてみせます。彼らは三者三様に異なる表現、異なるテーマを持って作品を制作しているに違いないのですが、しかし、完成された作品からは、お互いに響き合うような雰囲気を感じさせます。 いくつかの理由が考えられるでしょう。あえて挙げるなら次の2点、まず、彼らは表現の平面性、立体性といった常套の区別から乖離しているということ。彼らは皆、形態として、立体作品或は平面作品と呼ばれるものとして完成させつつも、その意義や性質を問えば、その形態そのものは、あるコンセプトを具体化させる為の必要条件として以上の意味合いを持ってはいません。関口の場合、自身がスタンダードな絵画作品を志向していないことは明確で、それは自ら「平面B」と称して作品を発表する確信犯的な姿勢にも見て取れます。和田の作品はまさにそれを可視化するものですし、貴志に至っては、もはや何かを意図することすら無意味化するような表現を追求するあまり、物体としての作品はもはや形骸化してさえいる程です。次に、構造やプロセスに偏重し、安易なイメージを追い求めない傾向にあること。 それは奇しくも抽象表現主義的で、具象への反動とも見える一方で、マテリアリスム的とでも言い得るでしょうか、素材と自己の表現が密接であることで、それ故に剥き出しのコンセプトが作品としての説得力を増幅させているようにも思えます。特に貴志の作品におけるシンプルな素材と形状ながらもこちらの理解の範疇を超えてくる切れ味の良さや、和田の作品の、構成と素材の選定、建築のようにシステマティックな制作プロセスの全てに整合性を持つ様子などにそれは顕著でしょう。 アートスクールが集中している全国でも屈指のエリアである京都では作家同士が感性を共有し合って時代や世代によって特有の空気感を作り出す傾向がより強く、伝統的に東京を中心としたアートシーンとはまた一線を画する数多くの重要なムーブメントを生んできました。今回のこの新しい兆候は今はまだ単なるローカルムーブメントに過ぎないとしても、次なる段階として美術史に寄与する可能性を秘めているのではないかと思えます。こうした新たな動向を常に注視してきた児玉画廊の姿勢として、今回取り上げる3名に限らず、彼らの世代が作り上げていく次なる日本の現代美術シーンを新たな側面から見直していかねばならない現在の局面にあたり、まずは、まさに今回紹介する彼らの作品に見出されるであろう新たな潮流の是非を広く問いたいと考えております。 ■ トークセッション「美術の新潮流?その解釈と論理の構築を目指す為の意見交換」 ※全文提供: 児玉画廊 会期: 2010年11月20日(土)-2010年12月25日(土) |
最終更新 2010年 12月 13日 |