ヤノベケンジ — ウルトラ展 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 5月 08日 |
大量の電力が必要とされるため、と会場アナウンスがあり、展示室の電気がまず落とされた。すでに怪獣のような角に覆われた巨大な球体の周りには沢山の人が集まっている。技術者と思しき人たちがセッティングを行い、時間になると突然、ギーン、ギーンとケタタマしい音が轟く。中心部にある円柱からは雷のような青紫色の光がその音と呼応するように生まれては消えていく。その光は滑らかというよりは、今まさに母胎から産み落とされた赤子のようにぎこちない。が、それが他の生命体を破壊しうる力を持っていることを私は経験からではなしに体で理解する。ゆえにその目前に座り込み生まれた感情は動物としての本能的な恐怖であり、そのようなものを嬉々として待ち構えていた自身の軽薄さを顧みもした。人工稲妻発生装置であるテスラコイルを有するヤノベケンジの最新作、≪ウルトラ—黒い太陽≫(コールテン鋼、共振変圧器、カーボン、FRP、水、他 2009年)である。 「ヤノベケンジ—ウルトラ展」(2009年4月11日〜6月21日)はその作品名をタイトルに冠した、「Ⅰ.サヴァイバル」「Ⅱ.赤い森」「Ⅲ.再生」という三つのセクションからなる比較的コンパクトな展覧会である。最初のセクションには≪サヴァイバル・システム・トレイン≫(鉄、モーター、ガラス、他 1992年)というロボットのような列車と、その線路沿いに≪ラディエーションスーツ・アトム≫(ガイガー・カウンター、PVC、ストロボライト、他 1996年)≪M・ザ・ナイト≫(ガスマスク、真鍮、鉄、その他 2006年)《マンモス・プロジェクト:20世紀のロボットマンモス≫(鉄、産業廃棄物 2004年)などのまさしく「サヴァイバル」をテーマとしたヤノベの代表的な仕事が展示された。その壁面には一方にヤノベが放射線感知服であるスーツを着て各地を回る「アトムスーツ・プロジェクト」などの映像が、もう一方に≪トラやんの大冒険≫(2007年)の絵本原画が掛けられ、それらを見つつセクションを抜けると「Ⅱ.赤い森」がはじまる。 「森で会いましょう」と書かれた赤い電光掲示板を入口に掲げた小部屋があり、そこには赤い絨毯が敷かれ合計140体にもなる≪ミニ・トラやん≫(ガイガー・カウンター、プラスティック、その他 2007年)が立っている。天井中央からは小さな太陽が降りそそぐ≪ファンタスマゴリア≫(鉄、真鍮、ガラス、ネオン、ライト、他 2007年)が吊るされ部屋全体を照らし、鑑賞者はその中で≪森の映画館≫(ミクストメディア 2004年)や≪宮の森の美術館≫(鉄、木、モニター、フィルム、ガイガー・カウンター、他 2007年)、≪白い象の伝説≫(鉄、木、モニター、プラスティック、ガイガー・カウンター、他 2008年)から流れる映像を楽しむといった仕組みだ。そこは≪ミニ・トラやん≫が住人の一つの〈国〉といってよい。私たち鑑賞者はそこまでいささか誇大妄想気味とも言えるヤノベの世界に入り込み、しかし楽しみながら展覧することができる。だから「Ⅱ.赤い森」の終わりに展示された≪ウルトラ—黒い太陽≫の出現は、鑑賞者にとってあまりに唐突ではなかったか。それは外見こそ特撮映画にあらわれる怪獣のようでユーモアを備えているが、先に記したようにその実きわめて暴力的な存在にほかならないのである。 ≪ウルトラ—黒い太陽≫は破壊者である。ヤノベの創作の原点が日本万国博覧会(1970年)に求められることを考えれば、そのタイトルが岡本太郎≪太陽の塔≫裏側の黒いタイルによって作られた顔、「過去の太陽」を意識している可能性はきわめて高いだろう。だがそのような外的要素だけでは本質的な理解に届かない。飛び交う火花を美しいと感じることもできようが、実見してなにより先んじるのは理解できないものに対する恐れである。そしてそれは私にとって、これまでのヤノベの作品には見出せないものだった。 ヤノベの作品は見せ物的要素を多分に含んでいる。2009年3月28日の日没から翌日の18時まで開催された「六本木アートナイト」。六本木ヒルズをメイン会場に周辺の美術館やギャラリーを巻き込んで行われたイベントの、メインビジュアルを担ったのがヤノベによる《ジャイアント・トラやん》(アルミニウム、鉄、真鍮、FRP、発泡スチロール 2005年)である。六本木ヒルズアリーナにあらわれた体長7.2メートルに及ぶ巨大ロボットは、その丸みを帯びた愛らしい顔立ちに加え口から火を吹くというパフォーマンスも手伝って多くの人をその場に呼び寄せることに成功した。《ジャイアント・トラやん》を中心にその周りには多くの観衆が取り巻き、火を吹くところを、あるいは動くところを今か今かと待ちわびたのである。私もその中の一人だった。他の人がどうだったかは知らないが、私はそれさえ見ることができれば他の展示やパフォーマンスを見ることができなくても構わなかった。私はヤノベの作品を縁日の出し物のような目線で見ていたのである。したがって「アトムスーツ・プロジェクト」は、とりわけ1997年にチェルノブイリを訪れたときのものはその奇抜な格好ゆえに悪い冗談としか感じられなかった。 だから今回、それ以外の視点が生まれたことが驚きだったのである。説明不可能な、圧倒的な力がそこにある。それを体感することではじめて、「サヴァイバル」をテーマとしたヤノベの作品世界を解することができるのではないか。その後、「再生」のセクションに展示されていた所々傷ついた《アトム・スーツ》(ガイガー・カウンター、PVC、ストロボライト、他 1997年)から、私はもはや「悪い冗談」だけを感じなくなっていた。 参照展覧会展覧会名: ヤノベケンジ — ウルトラ展 |
最終更新 2015年 11月 01日 |