毛利太祐:The Cracked Portraits |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2012年 8月 17日 |
アートを知覚する上での基本的な前提として「表象されているなにか」と「存在しているなにか」の境界線をなぞるというものがあり、それによって鑑賞者は、知覚するものは現実の一部ではなく、作家の仕事であることに気づきます。この行為において、基礎となる手がかりは物質です。イメージのメディアは作品の物質的なベースを全面に表し、表象の「作られた」性格を見せます。例えば、絵画における形象は、それ自体が描かれた油彩のレイヤーを示すことと同様なのです。しかし、物質の世界が鑑賞者を裏切り、イリュージョンの作用に加担するとどうなるでしょう。更に、物質がミメシスの一部を担うのみでなく、実存と競い合うイメージ、視覚的な現実とその表象を超越するハイパーリアルのイメージを支えるとどうなるでしょう。その時、現実と偽物の間の壁は崩され、「存在するもの」と「描かれたもの」を区別する我々の防御システムにはひびが入り、イメージは「実在するもの」と「虚構」の定義を揺るがせるでしょう。 毛利太祐による「The Cracked Portraits」は物質のベースをシミュレーションの共謀者に仕立てます。鉛筆で描かれた顔、形象はひびの入ったガラスで覆われています。物質上のひびは表象の次元に入り、ポートレートにおいて、はっきりしている部分と、雨の日の窓越しに見ているような、ぼやけている部分をつくりだしています。物質におけるひびは絵における線となります。一方、立体的、または、三次元における頭は、平面的といえる表面から、割れたガラスの網目に飛び出し、物理的な次元と統合することで具体化された現実となります。毛利による「Cracked Portraits」と本展は、この逆方向の動きと、これに従う視覚的・精神的経験を感じさせるものとなります。鉛筆で描かれた表象は、現実と物理的な存在に向かいながら、現実そのものとその物質は虚構の次元と想像の世界に向かいます。現実的なものと錯覚によって生み出されたもののダンスが始まり、親しみのある我々の知覚を揺るがします。 [作家プロフィール] オープニングレセプション:2011年8月31日(金) 18:00-20:00 会期:2012年8月31日(金)~2012年9月2日(日) |
最終更新 2012年 8月 31日 |