展覧会
|
執筆: 記事中参照
|
公開日: 2009年 3月 11日 |
art project frantic は、佐藤誠高の合成遊具の展覧会を開催いたします。 勤勉な鉛筆で描かれた作品は、「自然的なものと人工的なもの」、「男性と女性」、「現実と架空」、「有機体と無生物」、そして「写真性と絵画性」、「絵画性とドローイング」の混合物である。佐藤は多数の強迫的な「移植手続き」を行い、合成的な構成物を 創造している。この幾つかの「移植手続き」を説明しよう。
第一番目の移植手続き:「赤ん坊性」を「縫い包み」へ 佐藤は赤ん坊を研究している。つまり赤ん坊の身体の形、彼らのポーズと振る舞いを監察する。特に大変柔らかい、かつ虚弱なボリュームに興味があり、彼らの打ち解けた呑気な動きと自由で軽率な行動に魅了されている。それは、赤ん坊の邪気や不器用や率直が縫い包みのイメージ、たとえば合皮のラビットに移植されている。これは生き生きとした子供のポーズをとった製造された物になる。製品の中で赤ん坊の性質が見える。このミュータントは不気味である。
第二番目の移植手続き:「公式的なフォト・ショットのためのポーズ」を「赤ん坊の身体」へ 生き物の中から見える人工性は、子供の厳しい正面の構成を持つ描き方によって強調されている。赤ん坊にはありえないパスポート用のような写真で見られるポジション、観客に不安を与える直接の眼差しを生み出し、この「縫い包み赤ん坊」の年齢と意図を不明瞭にする。このアマルガムは心をかき乱す。
第三番目の移植手続き:「建築学術の順序」を「どさくさ」へ 佐藤は、混乱や乱雑やカオスの明示である髪の毛をロボットの様な精密さをもつ鉛筆で描く。それは、ヘア・ドレスではない。それは、幾何学上の平面や直線や正確なカットから作られた「ヘア・建築」である。この髪の毛は生える何かのものに見えない。このハイブリッドは上品である。
第四番目の移植手続き:「写真の記録的なスタイル」を「想像上のイメージ」へ 佐藤の鉛筆製の絵は写真のように見える。しかし、表現されているイメージは明確に虚構的である。それによって、イメージは「真実である」と説得しながら、「空想的である」と確信させる。矛盾ですが、この作品は「ファンタジーのドキュメント」、「厳格の記録」、「仮説の事実」である。この、複合物は比喩的である。
第五番目の移植手続き:「鉛筆の技術」を「絵画の次元」へ 佐藤の良心的な鉛筆は、針のように白いパネルに明確な線から構成されたイメージをひっかいて描く。彼の鉛筆はコンピュータのプログラムに組めるレーザーのようなものである。つまり、同一の隙間を残し、絶対的な対称性に従い、完全な輪郭線を守る。佐藤の鉛筆の「サイバー」カリスマがあるにしても、出来上がった絵の身体は生き生きしている。裸の女性の敏感な腹は、観客に手触りの意図を引き起こす。赤ん坊/縫い包みのスキンにある縫い目は、肉体的に見え、ぬれているように表現されている。このように、佐藤の鉛筆の繰り返す線は、絵画的な視覚へ導く。彼の合成遊具は複合的で、凝縮され、絵画的に豊かなものである。 ※全文提供: art project frantic
|
最終更新 2009年 3月 31日 |