鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 10月 01日 |
「具象」に対する注目が高いようだ。1994年から上野の森美術館で開催している、全国の美術関係者が40才以下の作家を選出し、平面作品を出品する「THE VISION OF CONTEMPORARY ART」、通称「VOCA」展。「VOCA展2009」の六人の選考委員の所感中、建畠晳と逢坂恵理子は出品作品の傾向から「具象」についてそれぞれ一言述べている。※1 建畠は「特に具象作品に、質が高く、しかもユニークな方向性を示すものが多く見られた」、逢坂は「混屯とした今日にあって個々人の世界観を乾いた視点で描き込む具象傾向が目立ったように思います」と書いている。「VOCA展」の傾向がそのまま今日の美術シーンに当てはまるとも言えないが、一つの傾向として「具象」の問題を考える必要はある。 その問題は、美術史に留まらない「物語」の隆盛とも親密な関係を結んでいるように私には思われる。〈この年一番泣ける〉小説/映画が山のように作られ、それらの構造がたとえば病気ないし死が愛し合う二人を決定的に別れさせてしまう悲恋譚など根本では同一の、だから結局は細部の設定のヴァリエーションがその差異でしかないことから判断できるように、世の中の多数は具体的で、〈わかりやすいもの〉に向かっている。あるいはグローバル化し多様化する世界の中で、そこには、だからこそ〈かけがえのない私の物語〉を知ってもらいたいという他者に対する承認欲求があらわれているのかもしれない。なんにせよ、巷には大小様々な〈物語〉が溢れていて、そこにはリアリティがあるかないかを問わず、具体的な形が与えられている。 東京オペラシティアートギャラリーで開催された鴻池朋子の個展、「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」もまた、以上の二つの流れを汲んでいる。すなわち「具象」と「物語」である。前者についてはオオカミや蝶、骸骨や「みみお」なる鴻池の創案した生きものなど、具体的なものものがその作品世界を跋扈していることは改めて言うまでもない。そして、「物語」。この世で最も流布している物語である『聖書』でこそないものの、タイトルに冠せられている「神話」とは、むしろキリスト以前を想像させる、より根源的な「物語」を私たちに想像させる。絵本の『みみお』(青幻舎、2001年)だけではなく展覧会でも絵本風の作品を出品していたように、あるいは展覧会自体が「地球の中心への旅」を目指し構成されていたことからもわかるように、この展覧会が明らかにしていたのは鴻池が何よりもまずストーリーテラーであるということだ。鴻池の思い描く「物語」があり、「世界」があり、作品にはそれらが大きく反映されている。 だがその「物語」は、必ずしも誰にも共有できるものではない。いや私は、それが誰にも共有できるものであるとしたら、まさしく「神話」のごとく取り扱われるとしたらどんなに恐ろしいことだろうと思う。今回の展覧会は先に述べたとおり、観客が鴻池の形作る「地球の中心への旅」を進んでいくような構成がとられている。動線は基本的に一本道でありながら「森へ行く」「家へ帰る」など看板が所々に立てられその道を突き進んでいく。そう、その「神話」は一本道なのである。展覧会の「主人公」を観客一人一人に見立てながらも、私たちは先へ進むか後ろへ戻るかしか道はない。どちらにせよ鴻池の作り出す世界を覆す術はなく、私たちが「遊ぶ」ことができるのはその「想像力」の内のほかない。 テーマパークよろしく歩みを進めるごとに変化する各部屋は、確かにその作品を終止「楽しむ」ことができる人にとっては楽しいだろう。しかし、時に解説が付せられる物語風の作品は、見ようによっては押し付けがましく、私には昨今の「物語」の隆盛の流れの一つでしかないように思われる。東京オペラシティアートギャラリーというそれなりに大きい「箱」の、それなりの深度を持つかもしれない鴻池による「物語」の生成は、楽しむにはわかりやすいかもしれないがリアリティが決定的に欠如しており、ディズニーランド同様の仮想的なエンターテイメントで終わっている。わかりやすいことは、決して悪いことではない。けれどもそのわかりやすいことを、今回のように「アーティスト」の想像力だからと全面に受け入れることが正しいことだとは私は思わない。何が正しく、何が悪いか曖昧な現在だからこそ、それについての自らの思考を止めないこと。むしろ「アーティスト」の思考を疑ってかかることで、押しつけではない「私」の思考の精度を上げていくこと。鴻池朋子の展覧会を、私はそういう世界の見方もあり得るという一つの可能性としてだけ見たい。あなたはどうだろうか? 脚注※1 公式サイト「VOCA 2009」中、「VOCA展選考委員「VOCA展2009」 選考所感」から引用した。下記のリンク先から全文を読むことが可能である。 |
最終更新 2015年 11月 03日 |
神話的な物語が壮大なスケールで展覧会全体に渡って繰り広げられる鴻池朋子の初の包括的な個展。しかし、その「神話」は抽象的で感情移入ができず、個々の作品がもつ「世界」との整合性はない。要所で効果的な役割を果たす襖絵も小道具として生かしきれておらず、その「神話」は宮崎駿映画の世界観に似た既視感を感じさせるファンタジーである。