「北国の大地に寄り添い」會田千夏 展 |
レビュー |
執筆: 五色 由宇 |
公開日: 2008年 11月 16日 |
fig. 2 《train-water tank 2008.7.10》2008年 會田千夏の個展会場にて、北国が迎えた春の、いとおしい太陽の光と、瑞々しい水流を見るような、鮮やかで爽やかな作品に迎えられた。 《sun people 2008.6.1》(2008)[fig. 1]の澄んだ水辺には、太陽の光を全身に吸収した生物の群集が、空へ空へと手を伸ばしている。《train-water tank 2008.7.10》(2008)[fig. 2]では、雪解けを想わせる、草花が芽吹く前の濁った大地の地下底に清らかな水源が生まれ、その表土には、《sun people 2008.6.1》と同じ太陽色の生命体が、いままさに誕生したばかりである。作家自身が“sun people”シリーズと呼ぶ、これら一連の近年作品は、その瑞々しく愛らしい色合いと、丸みを帯びたモチーフの柔らかな形状にて、新たなファンを開拓したと言われている。 その会場の一壁に、同じ作家によるものとは一見思い難い、全く作風が異なる作品が掛けられていた。《windpipe-sleety 気管,雨,雪 2008.8.19》(2008)[fig. 3]である。幅70cm強の比較的大振りなカンバス3連は、一面、気流の荒い厚い雲に覆われ、その僅かな隙間から、冷えた島が見え隠れする。その暗く靄った色合いも然り、油絵ながら、まるで日本画の岩絵具の粒子で雲の雨粒を描いたような筆致も、“sun people”シリーズとは全て対照的である。これも同じ會田千夏によるものなのか? その答えを求めて紐解いたプロファイルに、《windpipe-sleety 気管,雨,雪 2008.8.19》に描かれている“島”を見出した。《katari-jima》シリーズである(《katari-jima 2005.5》(2005)[fig. 4])。大地から切り離された島が、木々の根や草花の蔓を引きずりながら、空へと登っていく、2004年から一時集中的に取り上げられたテーマである。“sun people”シリーズの作風からは連想できない、雄々しく、荒々しい、叫びにも似た孤独な島の姿が描かれている。 “katari-jima”は、會田が美大大学院進学のため、生まれ育った札幌を初めて離れ飛び込んだ、東京での一年目終わりに生まれたテーマである。この新しい世界には、それまで、アカデミックな技術の習得に励み、全道展最高賞までのキャリアを地道に積んできた會田の前に、「独創」という道を必死に模索し、顕示しようとする、貪欲な作家の卵たちが溢れていた。カルチャーショックに打ちのめされ、一時は筆を取る気力さえも失った後、もう一度描くことを始めた會田が生み出したのが、“katari-jima”シリーズであった。
作家として初めて自分に向き合い、己の中から「自分だけ」の何かを吐き出したい-“katari-jima”はそんな叫びの権化ではなかったか。その一度大地から引き離した島がなぜ、“sun people”シリーズの、あるいは水辺に、あるいは大地に寄り添い生きる物に移行したのか。あれだけ病みついたように描いた「孤独」というテーマが、なぜ一変したのか。 その問いに會田は「人は一人では生きられないと感じたから」と答えた。※2“sun people”シリーズに移行する前に會田は、“momoco”シリーズ”と本人が呼ぶ、“katari-jima”が紫色を帯びた作品を数点制作している(《momoco 2006.6》(2006年)[fig. 5])。それはまるで、大地から切り離された島が、己の養分のみで生きながらえていく限界に達し、腐食し始めているかのような、美しくも不気味な様相を見せる。 一方、“sun people”は、太陽からの養分を必死に求める生命体の姿である。一個の「語る=表現する」自己として巣から飛び出した會田が、個で生き続ける自分に疲れ果て、弱さを露呈して救いを求め、周りと寄り添いながら生きたいと願った姿が、今彼女の描く“sun people”に表現されていると解釈できるのか。“katari-jima”から“momoco”、そして“sun people”へと姿を変えていくテーマに、その時々の會田の心の襞が表わされているように見えた。そして辿り着いたこの“sun people”シリーズの、明るく透き通った色、柔らかいフォルムに癒される観客は多いのではないだろうか。 脚注
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最終更新 2010年 7月 06日 |