パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き Vol.2 岩熊力也 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2014年 7月 03日 |
亡者たちのまどい――岩熊力也の肖像群をめぐって 日本近代の時空を厖大な数の亡者たちがさまよいつづけている。日本の近代が、死者たちに然るべき処を与えることなく、いたづらに時を経てきたからだ。 端的な例を挙げれば、十五年戦争の死者たちをいかに祀るかにかんして、あるいは、いかにして慰霊するかについて、靖国問題に典型的に示されるように、ひとびとは――あたかもネコマタのように――亡者たちを奪い合ってきた。死者たちを社会的に見送る通過儀礼が成り立たないまま今日に至っているのだ。私的な場面でも事情に大して変わりはない。死者儀礼は、いたるところで資本の牛耳るところとなり(メモリアルホール!)、合理化され、画一化され、それゆえに曖昧化している。 死者を見送る行いが共同性にかかわることはいうまでもない。死者儀礼が成り立ちがたいのは共同性が失調しているからだ。かつて共同体と信じられていたものが劣化を重ね、あらたな共同性は、いまだ、ひとびとの意識へと到来していないのである。集合的記憶の秩序が成り立っていないのだといってもよいが、いずれにせよ共同性の喪失を放置しつづけることは、人間の在り方に照らして犯罪的といわざるをえない。ひとは共同性なくしては生き切ることも、死に切ることもできないからだ。そして、共同性の問題が、これからの社会の在り方ともかかわる以上、わたしたちは、生まれ来る者たちに対しても有罪性をまぬかれないのである。 ここに亡者というのは、いうまでもなく、たんに死者を指すのではない。この世とあの世のあいだにとどまる者、つまり、死に切ることのできない者たちのことだ。つまり幽霊たちを指すのだが、かれらは、この世の外へ消え入ろうとしながら、しかし、それにもかかわらず、この世にすがたをあらわし、あまつさえ、うらむような視線をこの世に送りつづけている。俗に「浮かばれない」という状態であり、「幽霊」と呼ばれるイメージは、このように消え入るようにして、あらわれるという背反的な在り方を示すのだ。 日本近代にまつわる死者たちを描く岩熊力也の肖像群は、浮かばれないままに、生者の世界と死者の世界のあいだをさまいつづける亡者たちにほかならない。亡霊の肖像だというのではない。それらは亡霊そのものなのだ。 * これらの肖像と対面する大多数の観衆も、その点において作者と同じ立場にあるといってよい。もちろん、存在の痕跡を歴史に深々と刻みこまれた――たとえば歴史教科書に写真が掲載されるような――人物の場合は、それが誰であるか認識することは容易であるとして、しかし、その顔貌の記憶は、すでに述べたように画家の場合と同じく、画像をとおして形成されたそれにすぎない。肖像画の向こうにあるのもまた肖像なのだ。 それどころか、歴史に無関心なひとびとにとっては、いったい誰の肖像か判然としないものが、かなりの部分を占めるであろうし、誰ともつかない肖像が紛れ込んでいないともかぎらない。このとき観衆は、いってみればエジプトのミイラ肖像画を見るようにして岩熊の肖像群と対面するのであり、わたし自身、このシリーズに初めて接した二〇一三年のコバヤシ画廊の個展で、まさにそのような体験をした。画廊の幅員いっぱいに張り渡された紐に、まるで物干しのように無造作に掛けられた死者たちの肖像のあいだを――死穢の感覚をともなう畏怖の情にとらわれながら――奥へ奥へと分け行くと、三島事件の森田必勝[まさかつ]、浅沼稲次郎暗殺事件の山口二矢[おとや]、連合赤軍事件の永田洋子[ひろこ]など“馴染み”の顔たちのその奥で、幾つもの見知らぬ顔に――そこには三・一一の死者たちの顔も交じっていたときく――出くわしたのだ。 ようするに、画像からのコピーであり、また、誰とも知れないこれら死者たちの肖像は、「モデル」という名の現実に回収されることのないイメージであり、それ自身としてあらわれる。それ以外のあらわれようはない。にもかかわらず、これらイメージを「肖像」(似像)と称しうるのは、現実としてのモデルの方へと、すなわち、不在の誰かへと見る者の思いをいざなわずにはいないからである。ただし、肖像は、不在の誰かへといざなうだけではない。イメージは、不在の誰かへと思いをいざないつつ、しかし、イメージそれ自体として、「いま・ここ」においてみずからを前面化せずにはいないのだ。いいかえれば、それが誰であるかという概念の次元へと見る者を手招きしながら、画布の深奥へと後ずさりしつつ、しかも、荊 ??像は、ひとつの顔として見る者へ向けて大きく間近に迫ってくるのである。 こうした肖像の在り方は、肖像のみならず、イメージなるもの一般について指摘しうる。ひとくちにイメージといっても、知覚像、心像、画像のちがいがあり、心像は、さらに視覚、聴覚、触覚など感覚ごとに分類されるのだとして、しかし、こと視覚的イメージにかんするかぎり、こうした在り方は一般化しうるように思われるのだ。たとえば、一個のりんごを眼にするとき、わたしたちは、物理的な形態を見出したのち、それを「リンゴ」と認めるのではない。眼にした刹那、「リンゴ」としてのそれを見出すのである。林檎のイメージは、概念性と物体性のあいだのテンションとして、いいかえればアイデアルにしてリアルな有りようによって、わたしたちを捉えるのだ。すなわち、ほんらい区切れなき連続体である世界は、言葉にやどる概念によって――あるいは大脳皮質に存する処理ニューロンによって――分節され、イメージとし形成されるのであり、それゆえに、イメージは、非物体的な概念と非概念的な物体のあいだに――遠ざかるようにして、また、迫りくるようにして――あらわれるのである。心像についても、画像についても、出現のメカニズムは異なるものの同様のことが指摘できる。不在の起源に立ち返るのではなく、脳内の情報を取り集める装置として、つまりは、不在の現実をさしおいて、現実以上の何ものかとして、現実と概念のあいだにイメージは出現するのだ。 こうしたイメージの中間的な在り方は、この世とあの世のあいだにたゆたう幽霊の有りようと重なる。幽霊なる存在が、そもそも、何を措いてもまずイメージとして現われることに想到するならば、これは当然というべきだろう。すなわち、幽霊とは一種のイメージであり、幽霊の有りようはイメージの在り方に規定されているのである。このことはイメージというものに、つねに幽霊的なものがつきまとうということを意味してもいる。 * * ところで、視線とも呼び替えられるまなざしは、じっさいは、その名に反して眼から発せられるものではない。視線やまなざしは実在しない。実在するのは、対象から眼に向けて発せられる反射光にすぎない。まなざしというのは、その光線に人間の志向性を重ね合わせて、方向を逆転させたものにすぎないのだ。見るという行為は、すくなくとも初発の時点においては、決して能動的な行為ではなく、したがってまた主体的な行為でもなく、受動的な事柄なのだ。見る対象から発せられる反射光によって眼を奪われること、そこから見ることが始まるのである。 たとえば林檎を見るためには焦点調節という主体的かつ能動的な運動が自動的に起こるわけだが、しかし、林檎に眼を向けるのは、林檎からやってくる光が眼に届くことを契機とする。心象の場合についても、おそらく同様のことが指摘できる。微光のなかに浮かび上がる脳中の林檎は、その微光によって自己を発現させることで、不在のまなざしを誘発し、誘発することで微光とまなざしを折り重ねる。すなわち、林檎の発する微光は、不在のまなざしを投げ返すことで、みずからまなざしを身にまとい、それによって、こちらを見つめ続けるのである。 マルティン・ハイデッガーは、カント哲学をめぐるある論文で、眺望にかんする奇妙な逆転についてしるしている。風景を眺めている自分を、逆に、ほかならぬその風景が眺めている・・・・というのだ。奇妙な論理だが、実感としては納得できるところがある。たとえば林のなかで、ふと見上げた木々から見下ろされているように感じた経験をもつひとは少なからずいるはずだ。 こうした経験は、おそらく上記のような「見ること」の逆説的メカニズムにもとづいているのだが、このメカニズムそれ自体を一種の装置として具現したのが肖像画にほかならない。わたちたちは、肖像を見つめることで、肖像のまなざしにさらされることになるからであり、まさにこの点を要として肖像画は成り立っているからである。 そればかりではない。他者の顔貌は、その他者性において見る者から遠ざかりつつ、しかも、対面する者に迫り、対面する者を巻き込まずにはいない。というよりも、まさに岩熊力也の肖像群がそうであるように巻き込みの力ゆえに肖像は肖像として成立するのだ。肖像と対面する者は、いつしか見つめる対象の側へと巻き込まれ、見つめる対象の側から自分自身を見つめている自分に気づくことになるだろう。 * また、ひとつの衣裳を共有するその有りようは、衣服が身体のみならず、記憶の器でもあることを想起させる。衣服と記憶のかかわりは洋の東西を問わず古くからみいだされ、日本の古代から中世にかけての文芸においても、記憶の依代としての衣が、しばしば見出されるのだ。すなわち「形見の衣」であり、これは、幽霊としてのイメージ/イメージとしての幽霊と同じく、この世とあの世をつなぐ役割を果たしてきたのであった。 伊藤博文と安重根[アン・ジュングン]やルース・ベネディクトとカーティス・ルメイを、それぞれ衣服の両面に描いた肖像は、一見わるい冗談のように思われもするけれど、相容れない他者が背中合わせに放つまなざしは、そのことによって――遠ざかりゆくイメージの奥底に対抗的なイメージを位置づける巧妙な仕掛けにおいて――却って強められ、既成の歴史観を相対化する中間性のダイナミズムを発揮している。 * * その呼び掛けに対する応答を、わたしたちは拒否することができない。かれらのまなざしから眼を逸らすのはむつかしい。すくなくとも自己の有罪性を意識するならば、眼を逸らすわけにはいかない。そして、肖像となったひとりひとりを見つめることで、ポリフォニックに響き渡る声々からひとりひとりの声を聞き分けなければならない。エマニュエル・レヴィナスのいうように、他者の苦しみが課する重荷から逃避しないことこそが自己の「自己性」を決定づけるからであり、死を死たらしめる共同性もまた、ここから――互いに見つめられつつ、眼をそらさないことから――形成されるほかないからである。 わたしたちは、みずからの責任を果たすために日本近代の亡者たちに応答しなければならない。このことは、ヘーゲル的な意味における造型芸術の終焉以後に、イメージのもつ意義を探る端緒ともなるのにちがいない。 [作家プロフィール] 参考サイト:http://www.musabi.ac.jp/gallery/2014-2.html 全文提供:gallery αM 会期:2014年6月28日(土)~2014年7月26日(土) |
最終更新 2014年 6月 28日 |