松山 賢:生きものカード(甲虫) |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2012年 12月 17日 |
かって松山賢は、作品の制作動機を聞かれたときに「自分が作りたいものを作っている」と答えたことがあります。作家として極めてシンプルな解答です。しかし現代美術の世界にあってこの姿勢を貫くことはさほど簡単なことではありません。ここ日本では、欧米のトレンドをどう追うか、あるいはどう新しさを演出するかがまず問題となるような状況は現在でも大きくは変わっておらず、作家たちが自分の内部の制作動機にどこまでも忠実であることは難しいからからです。 しかし、松山は制作を始めた時から既にこの縛りから自由な作家でした。この作家の規範は徹底して個人主義的なものであり、自分の「見ることの快楽」に忠実であろうということに置かれていたのです。この徹底性は、たとえば性的欲望の対象としての女性の身体を、立体であれ、絵画であれ、さらにはインスターレションであれ、多様な形式を使いながら執拗に、反復して表現し続けてきていることに現れていて、現在の美術シーンを見ても稀な試みだといわなければならないでしょう。 ただし、松山の作品は「見ることの快楽」が三重になっていて、シンプルでありながらも必ずしも単線的ではありません。まずはじめに欲望の直接的な発露であるリアルな対象を見ることの快楽がきます。しかしその欲望も対象も不断に移りゆき、はかないものであるために、次にその二次的な代替物としての作品が見ることの快楽の対象として設定されます。考えてみれば、これは洋の東西を問わず美術作品の普遍的なあり方(からくり)に他ならず、その意味で、たとえ扱う素材が今風のポップな女性アイコンであったとしても、松山の作品は極めてオーソドックスであるとも言えます。最後に、この美術のあり方に松山が自覚的、方法的であることがきます。つまりこの作家は「見ることの快楽」のからくりを見る者に体験させることで、あらためて私たちの内部にあるその快楽を指し示そうと試みるのです。 しかし、人間にとって見ることの快楽は性的欲望に限定されているわけではなく、自然の造形物だったり、人工物だったりするわけですが、現に松山も、昆虫や動物、あるいは動物の骨、オモチャなどを対象として取り上げています。また、最近では上にあげた「見ることの快楽の二重性」そのものに焦点をあてたより自覚的な試みにも積極的に挑戦しています。皿に盛られた絵の具をひたすら写実的に描いた近作『絵の具の絵』では「見ることの快楽」を見る者に一つの謎としてコンセプチュアルに問いかけるものです。 本展では、立っている甲虫と女性をテーマにした新作中心に構成されます。どこまでも内部の欲望、快楽に忠実でありながら、その戦略的な問い返しに挑む松山の作品世界をぜひご高覧ください。 Director 森岡 光 [作家コメント] [作家プロフィール] オープニングパーティ 1月18日(金) 18:00~20:00 全文提供:unseal contemporary 会期:2013年1月18日(金)~2013年3月3日(日) 時間:12:00-19:00 休日:月-木 会場:unseal contemporary |
最終更新 2013年 1月 18日 |