没後20年 孤高のモダニスト福田勝治写真展 |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2011年 1月 06日 |
福田勝治は、1899年山口県に生まれ、昭和を通して活躍した写真家です。来年2011年が没後20年にあたります。ときの忘れものでは、新春の特別企画として、代表作《心の小窓》《光りの貝殻》《静物》の3点と、1955年にイタリアで撮影された作品20点(未発表)の計23点を展観し、福田勝治の作品と、その功績をあらためて顕彰し、ご紹介いたします。 福田勝治は、その初期において造形的・構成的な静物写真を発表しますが、実際に写真家として世に出たのは1936年『アサヒカメラ』に連載した「カメラ診断」での成功によってであり、37歳の時でした。 『女の写し方』『現像の実際』『春の写真術』『花の写し方』などアマチュア写真家向けの手引書がベストセラーとなり、広告写真も手がけるようになります。同時に、女性美を追求したポートレートやヌードで高い評価を受けますが、日中戦争から太平洋戦争に至る中、そういった作品が自由に発表出来なくなります。それでも、時局に屈することなく自らのスタイルで制作を続けます。 戦争が終わるやいなや、すぐにヌード写真集を次々に出版し、戦後の写真界をリードします。しかし間もなく、土門拳の提唱したリアリズム写真主義の批判の標的とされ、不遇な境遇となりますが、自らの美学を貫き、「孤高のモダニスト」として自身の求める写真を撮り続けました。 1955年のイタリア旅行では、実に5,000枚もの写真を撮影し、翌年の「イタリア写真展」は大好評となり、多くの写真ファンの支持を得ました。その後、〈京都〉〈銀座〉〈隅田川〉と日本を見つめ直した連作を発表し、実験的なカラー写真〈花の裸婦〉のシリーズではユーモア溢れる自由な創造力を示しました。1991年、多くの作品と著作を遺して92年の生涯を閉じます。 福田勝治(ふくだ かつじ)略歴 ※全文提供: ときの忘れもの 会期: 2011年1月15日(土)-2011年1月29日(土)会期中無休 |
最終更新 2011年 1月 15日 |