笹山直規:事故現場 |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2010年 4月 08日 |
事故現場は、美術史上において主なテーマの一つであり、美術そのものは「生命の頂点」、「予想できない終焉」という表現を常に試みるものとして考えられます。様々な時代や伝統の中で作家達は、事故や大惨事、災害に注目し、「感情の極地」や「救済への希望」と共に「静寂で苦々しい運命の結末」を表現してきました。 2010年4月9日よりFrantic Galleryは「事故現場 笹山直規個展」を開催し、ギャラリーの二つの部屋にて、車の金属の表現豊かな散乱と、断片の繊細な突発である交通事故の巨大なシーンを展開します。2009年に制作された8点の大きな水彩画と3点の新作で構成されるこの風景は、最も濃縮された人生のテイストの瞬間、最後の運命的で致命的な出会いの精力であり、不可避的に握られ、触れ、感動させられる出会い、つまり、交通事故現場にスポットライトを当てたものです。 2005年から笹山は死刑のシステムを研究し、「The Last Meal (最後の食事)」(2005-2008)というシリーズを制作します。9点の作品は、死刑を宣告された人の名前、彼の罪状、事件概要、死刑執行日と水彩で表現された犯罪者の最後の意志の明示、つまり判決を受けた人間が死刑執行の前に頼む最後の食事のイメージを、その者の肖像画として描いています。最後の晩餐、つまり人生最後の命の味わいは皮肉にもカラフルな表象で、笹山の作品は「最後の欲望」の実存主義的側面を強調し、「人と彼の美味」の間の心理的に複雑な関係を表します。(ステイシー・レイモンド・ロートンはピクルスを一瓶を頼みました。それは彼の人生の特別な瞬間と場所を思い出させるものだったのかもしれません。ジョン・サノスは、何か新しいことを始めようとしていたかのように、コーヒーを一杯注文しました。) |
最終更新 2010年 4月 09日 |
満開の桜から花びらがチラチラ降る穏やかな通りを抜けてギャラリーに入ると、そこに広がるのは凄惨な事故現場である。
壁一面に並ぶのは、半壊した車や臓器も露な負傷体が写実的に描写された絵画作品。しかし、ポップな色彩と、人体模型のような負傷者の肢体、ハリウッド映画をイメージさせるような背景からは悲劇性は感じられない。鮮やかに塗り込められた日常の禍々しさと、事故の生み出した急激な変化の対比のほうが、鮮烈に目にささる。微笑む傷だらけの顔の少女は、もはや、変化のあるがままを受け止める神々しささえ湛えている。
ぜひ、大画面の前に立ち、自分がその現場に入りこんでしまったような錯覚に陥りながら観る面白さを味わって頂きたい展覧会。以前から生と死を見つめ絵画を制作してきた作者は、絵具も自作しているそうで、その作品への向き合いかたや今後の展開も気になる存在である。 春の日、昔読んだ小説の、桜の下に埋まっているのは何だったか、なんて考えながら帰るのも悪くない。