小川真生樹:////// |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2014年 9月 25日 |
アランイズディオンリーワンでは、2014年に東京藝術大学大学院を修了した、小川真生樹の個展 ////// を開催いたします。 不確定で覚束ない混濁した自分に冴えている小川は、故に自らが何かを試みれば試みるほど、自分が自分を見失って行く=失踪者になっていくことに自覚的であり、また同時に失踪者であることにすら気づかなくなって行きます。 彼の作品を目の前にした時、はたして知覚者のない知覚だけの観察は可能でしょうか。 Alainistheonlyone [作家コメント] 私は私の行為やアイディア、その結果によって生じた事実によって私自身を見失ってゆきます。 私は私という不確定な点を追い掛けます。 そして、そのような素振りをしている私自身が紛れもなく不確定な点なのですから、いつの間にか私は私を見失い、私は私に見失われて行きます。 私は私が失踪者であることに気づきます。 場所から失踪し、見慣れた風景がとても不安なものに見えます。 そして、そうした不安が唯一の友だと知ります。 同時に時間から失踪し過去でも未来でも、私は時代錯誤者であります。 時間を喪失したときのように惰性と怠惰の有用性を理解します。 そして私は私を追うがゆえ私から失踪し、同時に私を見失ってゆきます。私はなによりも(野良犬よりも、愛犬よりも、稚魚よりも)私を遠くに感じてゆきます。 それですから私は私を誰よりも知りません。 私は私を知ろうと励みます。私は私を知ろうと励み、その行為はより一層私を底無しの穴へ突き落とす結果を導きます。 ただ明確に言えることは、食べることや寝ることや愛しあうこと、馬鹿騒ぎなどは本当に私のしたいことに入るということです。そしてそうしたことは美しく狂気に満ちています。 とはいえ日々というものは再認識や再自覚するほども驚異的ではありません。 ですが、朝に飲む紅茶の透き通った湯気の香りは明らかにトートロジーではないし、人の繁殖期は年中無休であるし、お隣のおじさんは今日も浴槽で釣らない釣りをしているのです。私は日々の不条理な事象を愛しています。 私は驚異的でエキサイティングで大音量の鳴り止まない音楽よりも、普遍的で不条理でエキサイティングな鳴り止んだ日常に心を惹かれているのでしょう。 そうして、それなので、私は息をしています。 息をすることはとても無意識的で、例え私が私を見失い私が失踪者自身であろうとも、私は息をする方法を忘れません。 それが私が私であり、私が失踪者である方法なのでしょうから、息だけで十分な気もするのです。 ////// [作家プロフィール] 全文提供:Alainistheonlyone 会期:2014年9月18日(木)~2014年10月18日(土) |
最終更新 2014年 9月 18日 |