駒井哲郎作品展 福原コレクション 生誕90周年-闇と光のあわいに |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2010年 11月 04日 |
東京銀座の資生堂ギャラリーと静岡県掛川市の資生堂アートハウス では、日本における銅版画の先駆者で、戦後の版画史に多大な足跡を残した駒井哲郎(こまい てつろう・1920-1976)の作品展を両館合同で開催します。 駒井哲郎と資生堂ギャラリーとの縁は深く、1953年、念願の初個展を資生堂ギャラリーで開催。その後もグループ展などに参加を続け、くしくも生前最後の展覧会となった「九人の会展」も資生堂ギャラリーがその会場となりました。本展は駒井哲郎生誕90周年を記念して、世田谷美術館に寄託の資生堂名誉会長・福原義春の駒井哲郎のコレクションから作品を選び開催するものです。 1920年、東京日本橋に生まれた駒井哲郎は、十代半ばで銅版画の世界に足を踏み入れ、慶應義塾普通部卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)油画科に進学。同校卒業後も銅版画の研究と制作に熱意を傾け、当時の日本ではなじみの薄かったこの版画技術を駆使しさまざまな創作を繰り広げます。1950年の「春陽会」に初出品した銅版画が春陽会賞を受賞、岡鹿之助により激賞され一躍画壇で注目される存在となった駒井哲郎は、その後第一回サンパウロ・ビエンナーレ(1951年)で在聖日本人賞、翌年のルガノ国際版画ビエンナーレでは国際次賞を受賞するなど国内外で活躍。銅版画を芸術の新たなジャンルの一つとして、日本に紹介し定着させる礎となりました。さらには、当時最先端のさまざまな芸術家との交流を通じ、また後進の育成にも努め、戦後の芸術文化の発展に寄与しました。 一方、福原にとって駒井哲郎は、慶應幼稚舎時代の6年間の担任で切支丹史の学者でもあった吉田小五郎氏から折にふれ、あなた方の立派な先輩ですと好意をもって駒井の存在を教えられて以来、後年わずか一度の立ち話を交わした外に面識はないものの、単に版画家という以上に兄のような特別な感情をもって尊敬する画家だといいます。 1960年、福原が初めて購入した美術品は、駒井哲郎の《La Maison Jaune(黄色い家)》と《Soleil d’iris(虹彩の太陽)》です。以降、主として古書店などを通じてコツコツと、自らの心に響く駒井作品を購入していたものが、いつしかコレクションと呼べるほどの規模となり、2000年に世田谷美術館に寄託され公開されることとなりました。 寄託にあたり、福原と世田谷美術館との間で交わされた「館は、優れた美術品を世に公開することにより芸術・文化の向上に寄与するという所有者の意向を尊重し、本件寄託品を出来る限り多くの機会に公開展示すると共に、その芸術性を広く世に紹介するよう積極的に努めるものとする」の一文には、福原の「文化財は死蔵されるべきではない」との考えが強く示されています。そしてその後も現在に至るまで、福原が世田谷美術館に寄託する駒井作品は、質量ともに拡充し続けています。 今回の展覧会は、福原が50年に亘り継続して蒐集し、世田谷美術館に寄託する約500点の駒井コレクションの中から作品を選び、資生堂ギャラリーと資生堂アートハウスの両館で展示するものです。資生堂ギャラリーでは、福原コレクションの最大の特徴であるモノタイプを中心としたカラー作品約100点を展示し、駒井版画の「色彩」世界をご覧いただきます。駒井全作品の2割にも満たないといわれる貴重な色彩版画のうち、なかでも数少ないモノタイプ作品の、かつてない規模での展示となります。資生堂アートハウスでは、「白と黒の造形美」で知られる駒井のモノクローム作品を中心に、代表作、初期作品に加え、時代を代表する詩人や文学者とのコラボレーションによるブックワークなど約150点を展示し、駒井作品の多彩さをご覧いただきます。 銅版画のパイオニアとして時代を生きた駒井哲郎の生誕90周年展でもある本展を、皆さまにご高覧いただき、その画業を新たな視点で辿っていただければ幸いです。 駒井哲郎(こまい てつろう)プロフィール 主な作品 受賞歴 関連企画 全文提供: 資生堂ギャラリー 会期: 2010年10月26日(火)-2010年12月19日(日)11:00 - 19:00(日・祝11:00 - 18:00)月曜休 |
最終更新 2010年 10月 26日 |