佐藤未希:Mountain Messenger |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2010年 9月 13日 |
私たちの社会はインターネット等のメディアによって、自分が望むと望まなくても情報が洪水のように入り込んできます。それによって、体内で様々な感情が発生し、消え、発生し、消え。身体の存在さえあやふやになり、社会と自己の境界線はもはや存在しません。 インターネットが普及し、グローバル化により国々の国境がない世界が誕生する前とした後の世代では、人間形成において大きな違いが有るように思われます。 故郷がある人とない人、拠り所がある人とない人。 終わりがある人とない人、死をイメージ出来る人と出来ない人。 私達は、正解のない情報の氾濫に一喜一憂し、宴の後の不安が常に付きまとう世界に住んでいます。 佐藤未希は、映画というメディアから取り出したイメージや古い写真の上に何千枚というドローイングを重ね、抽出されたものを基に、油彩によるタブローを制作します。一つひとつ筆を置きながら摺りこませるように滲みを描いた作品は、顔や身体が溶けていたり、目がなかったり、顔が黒く塗りつぶされたりしています。 佐藤未希は、現代社会に既に存在しえないかもしれない真のリアリティーの源を探そうとしています。 今展では「Mountain Messenger」と題し、人体・人物を主題にした作品を100号含む約十点を展示致します。 ※全文提供: Yoshimi Arts 会期: 2010年9月27日(金)-2010年10月17日(日) |
最終更新 2010年 9月 27日 |
佐藤未希の絵画は不穏な気配と戦慄を感じさせる。描かれる人物たちは滲み、暈され、溶け、奇形的、不気味な存在に見える。だが、見続けていると崇高な存在として立ち現れてくる。
佐藤のモチーフとなるのは、実在の人物ではなく映画や古い写真だという。その上に何千枚とドローイングを重ねていくことで、佐藤の絵画は生み出される。現代絵画において、映像イメージを基にすることは珍しくないが、佐藤の描く肖像群は写実性にノイズが混入するような絵具の動きや痕跡が画面に現れることで、不穏でファナティックな要素を人物から感じさせる。だが、滲んだ色彩が作り出す画面の統一感が、描かれる人物に対する感情を恐れから平穏へと変へていく。
佐藤は初期にはより奇形的な人物を描いていたが、徐々に人物が形を成してきたように見える。この異形の人物たちが今後どのように成長するのか。人間の根源的な存在を表象する佐藤未希の今後を期待したい。