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どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術 展
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 5月 22日

    広島市現代美術館で開かれている「どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術」展(2009年3月14日〜5月10日)はその名の通り、「異界」をテーマに日本を含めたアジアの現代美術を紹介するものである。出品作家は会田誠、八谷和彦、加藤泉、風間サチコ、小山田徹、ホセ・レガスピ、中原浩大、西尾康之、エコ・ヌグロホ、小谷元彦、チウ・アンション、佐藤允、高木正勝、戸谷成雄、アピチャッポン・ウィーラセタクンの計15名。日本人が多く、1947年生まれの戸谷成雄を除けば20代から50代の若手から中堅と目される作家がほとんどを占める。

    パブリックな施設が一般的なレベルで浸透しているとは言い難い現代美術作家を積極的に取り上げるのは歓迎すべきことである。選出された作家は東京を主な発表の場とする者が多く、その点でも広島でその作品をまとまった数紹介する意義も認められる。西尾が立体・絵画から10点もの作品を出し、風間が8点、それに小谷、加藤が5点と続く。佐藤允という京都造形芸術大学を2009年3月に卒業したばかりの、まだ知名度も決して高くない作家を選んだ気概も企画者のフィールド・ドワークの賜物であり、多いに評価できるだろう。事実佐藤の作品は鉛筆・インクを使ったドローイングというシンプルな作りのものでありながら(描き込み自体は情報量が甚だ多いが破綻がない)、壁面にその作画から派生した切り紙状のドローイングを虫ピンで留めるなど展示の妙が見て取れた。

「どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術」展会場風景|撮影:米倉裕貴|写真提供:広島市現代美術館

「どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術」展会場風景|撮影:米倉裕貴|写真提供:広島市現代美術館

「どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術」展会場風景|撮影:米倉裕貴|写真提供:広島市現代美術館

    そしてそれら平面、写真、映像、立体、インスタレーションなど様々な形態の作品は、跋扈する妖怪を描いた《稲荷物怪録絵巻》(堀田家版・三巻、個人蔵)や《幽霊画》といった古美術に加え、柳田國男『遠野物語』にもその信仰が描写されている《オコネサマ》(オシラサマ・6体、昭和初期、遠野市立博物館)や天狗の面など、歴史・民俗資料とともに展示された。現代美術を歴史的な文脈で読み解こうとする目的からだろう。しかし結論から先に言えば、それは十分には成功しているとは言えなかった。私はこの展覧会が「異界」というコンセプトを打ち出しながらも結局のところ売り出し中(それはまさに〈コマーシャル〉という意味での)、『美術手帖』的ラインナップの作家を中心にしたショー・ルームに過ぎないとも感じる。理由はひとえに、同時に展示されていた古美術や歴史・民俗資料と現代美術との関連性の不明瞭さに由来している。

    たとえば「ばけるもの」というセクションには加藤の異形のペインティングや彫刻、風間の「日本列島改造人間」シリーズなどが並ぶ中、鬼の面や歌川国芳の《下野之国奈須の原金毛白亜九尾の悪狐たいじの図》(三枚一組、38.0×26.6cm、国立歴史民俗博物館)が展示されていたが、あまりに粗略であると言わざるを得なかった。わからなくもないが、加藤の作品と並べるのであれば先史時代の土偶の方が有効だろうし、風間であれば「仮面ライダー」などの特撮アクション物を参照した方がそのルーツは理解しやすいだろう。他の作家と作品にもそれぞれ言えることだが、大まかに〈面〉や〈ばけもの〉を描いた錦絵だけでその表現が俯瞰できるほど簡単な問題ではないのである。そんな中、会田の自身が「おにぎり仮面」なる扮装をしその旅の様子を撮った映像《おにぎり仮面の小さすぎる旅》(DVD、2005年)と、おにぎり仮面そのものの人形《おにぎり仮面》(ミクストメディア、サイズ可変、2005年)はその脱力ぶりが傑出しており結果的にそうした構成から距離を置きながらも存在感を放っていたが。あるいは西尾の《幽霊》シリーズ横のショーケースに展示されていた《幽霊画》は、意図は分かりやすいがそのクオリティが低く、迫力に欠け、アピチャッポン・ウィーラセタクンの、ジャングルで動物の血などを吸って生きる幻の鳥を探す映像作品《VAMPIRE》(19min00sec、DVD、2007年)はおどろおどろしさが皮膚に貼り付くような魅力的な作品だったが、むしろそれゆえに手前に展示された源頼光の土蜘蛛退治譚《土蜘蛛草子》(39.0×116.0cm、1799年、国立歴史民族博物館)との関係は明確な像を結ばない。

    もっともすべてが不明瞭なわけではない。高木の映像作品《Homicevalo》(11min00sec、2008年)が馬と娘の悲恋物語「馬娘婚姻譚」を参照しており、それが日本で言うところの「オシラサマ」信仰であることを鑑みれば、その手前に《オコネサマ》(オシラサマ)を展示することは比較検討対象として有効であろう。ところが有機的な関係を築いていたのはそれくらいである。

    このように、だから私は「異界」というテーマが、きわめて恣意的な、後付けされたコンセプトのように思えてならない。現代美術ではない作品や資料を展示するのであれば、それらが決して現代美術に退けを取らないクオリティのものである方が展示として魅力的なものになるであろう。けれどもそれをしないのは、ここで古美術及び各種資料が現代美術を展示するためのアリバイ作りの役割を担わされているからにほかならない。第一、「異界」を生涯のテーマにしていると言って過言ではない漫画家であり妖怪研究家、水木しげるがこのラインナップに加わっていないなど非常に不自然なことではないか。それは水木が現代美術か否か?というつまらない問いを投げかけ、水木をその枠内に入れる事を求めるものではない(そんなことは本当につまらないことである)。私は、もし企画者が真摯に「異界」というテーマを広く〈視覚表現〉という枠組みで捉えようとするのであれば、水木を外すことなどできるはずがないということを主張したいのである。悲しいかな、〈現代美術〉であればこのようになろうか。

    中途半端な異界論を繰り広げるのであれば、現代美術の作品のみで構成した方がよほどよかったのではないだろうか。もしかしたら税金を払っている市民からはお叱りがあるかもしれない。だが私はその先に展開される企画の方にこそ興味がある。それは国立新美術館が2008年から取り組みを始め今年で二回目を迎えている企画展、「アーティスト・ファイル」展に期待するものと近い。企画側がコンセプトを設けず、自らの責任で作家を選ぶ。誰を選ぶか、ということは、誰を選ばないか、ということであり、それは専門家であるがゆえに可能な、きわめて批評的な行為にほかならない。だから今回の展覧会は、作家の文脈化及び歴史化を目指し、企画の正当性を体よく作り出そうとした展覧会にしか見えないのである。


参照展覧会

展覧会名: どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術 展
会期: 2009年3月14日~2009年5月10日
会場: 広島市現代美術館

最終更新 2010年 11月 14日
 

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